畳の断熱効果と保温効果
戦後経済の高度成長とともに生活様式も洋風化し、座る生活から椅子の生活に
変わり、ジュータンなどが普及し始めましたが、住まいは畳の部屋が基本でした。
現代の住宅では外断熱や高気密、高断熱などの快適に暮らせる住宅が普及し
つつあります。このような住宅では畳の断熱性能は問われませんが、
いやしの空間の利用が進つつあります。
畳表について
段原は下町 【南区の畳屋】 古武家畳店 広島市南区段原山崎 2-14-15 TEL(082)287-7168 FAX(082)287-7168 kobuke222000@yahoo.co.jp |
受け継いできました。瑞穂の国(稲が多く収穫される
こから瑞穂の国といわれた)にふさわしく、稲わらを利用
して床を作り、インドより伝わった野生の『いぐさ』を改良
栽培して畳表を織り、『畳』と言う素晴らしい敷物を作り上
げたわけです。明治以降の急速な文明開化の時代にも、
畳は日本の住まいの敷物として重要な役割を果たしてき
ました。
い草の泥染め
畳は、日本の文化・日本民族の生活の知恵が生み出した固有のものであり
湿度が高く、天候の変化が厳しい日本の風土で、敷物として育てられ、
一枚の畳表を織るのに、およそ4000本~7000本のい草が
使われていますが、い草は収穫後すぐに畳表に織り上げら れるのではなく、いくつかの手間おかけた作業工程が成さ
れています。
たとえば、刈り取り後の泥染め作業であり、い草の選別作業
です。それらは粒ぞろいよく地合いの厚い良質の畳表を作る
ために欠かせない作業です。
一般的には、上物ほどい草の質と色調がそろい、下級品ほど
色がそろっていなかったりして品質がおちます。
畳のサイズ
畳は、お部屋の空気を浄化する
乾燥してくると温
畳は一畳で500ccの水分を吸収し、乾燥してくると放温す るという自然のエアコン作用をそなえています。畳表は空気 中に含まれる有害な二酸化窒素を吸着する能力に優れてい ることも判明し、その吸着した二酸化炭素の50%~80%は、 無害な一酸化窒素になって空気中に還元されるということが 『大気汚染学会誌』で発表されました。
畳が、知らず知らずのうちに室内環境の浄化をしていてく
れるのです。
畳のお話
収穫したい草を泥で染めること、い草の乾燥が早くツヤが
よくなり、固有の色調が保てる。
また、変色やにごりを防止し、独特の香りを生み出し品質を
保持する働きがある。これに使用する染土は、岡山・福岡・熊本
を中心に用いている明石染土が伝統的だが、淡路島の断層か
ら産出する淡路染土も有名です。
畳は自然のエアコン
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存在する畳の古いものは奈良時代のもので、
奈良東大寺の正倉院にある聖武天皇が使用された
『御床畳』という木製の台の上に置かれベットとして使わ
れたものです。これは現在の畳と同じように真薦(マコモ)を
編んだムシロのようなものを5~6枚重ねて床として、
表にい草のコモをかぶせて綿の縁をつけたものです。
この台 を 二つ並べて寝床として使われていました。
古来から畳が敷物として使われていることがわかりますが、
この頃は現在のムシロのようなものであったと思われます。
794年~1179年にはすでに畳はあったとされていますが、
その前は敷物の一つとされていたようです。
Best TaTami in town
奈良時代ごろ(710年)
湿気を吸収し
創業 昭和元年 1926
種類 | 名 称 | 長 さ | 幅 | 使用地域 |
本 間 | 京間・関西間 | 六尺三寸 191.0 |
三尺一寸五 95.0 |
京都・関西地方 |
六一間 | 安芸間 | 六尺一寸 185.0 |
三尺五分 92.5 |
広島県・瀬戸内海沿岸地方 |
三六間 | 中京間 | 六尺 182.0 |
三尺 91.0 |
中京・東北・北陸地方・沖縄地方 |
五八間 | 関東間・江戸間 | 五尺八寸 176.0 |
二尺九寸 88.0 |
全国的 |
五六間 | 団地間 | 五尺六寸 170.0 |
二尺八寸 85.0 |
団地住宅 |
畳のい草には、縦状にヒダがありその表面には無数
の気孔があって空気を吸入・排出しており、内部はス
ポンジ上の組織が温度を調節する役目を果していま す。そして湿気を吸うと膨張し放温すると縮小する
組織になっています。
暑い夏の日には、畳が含む空気によって暑さを遮断
し、ひんやりと心地よい感触をもちます。
寒い冬の日には、外の冷たい空気を畳の中の空気 がさえぎってくれます。そして暖房で温まった空気は
外に逃がさない保温効果もあります。
二酸化窒素も
無害な一酸化窒素に還元する
江戸時代(1603年~)
江戸時代になってから『御畳奉行』と言う役職が作
られるほど、畳は武家、特に将軍や大名にとっては
重要なものになりました。
畳が一般の物となったのは、江戸中期以降のことで
あり、農村部においてはさらに遅く明治時代になってか
らでした。
平安時代ごろ(794年)畳は権力の象徴であった
平安時代に入って貴族の邸宅が寝殿造りの建築様式と
なると、板敷きの間に座具や寝具などとして畳が所々に
置かれるようになりました。この置き畳として使われてい
る様子は、絵巻物に描かれています。
この当時必要な部分だけ畳が置かれていました。